職人インタビュー
田川広一中村ローソク
京都の街に育まれた和蝋燭
まずは御社の成り立ちを教えて下さい。
明治20年(1887)に創業し、おもに寺院で使用される和蝋燭をつくり続けてきました。先代の頃までは小売りをしていませんでしたのでずっと「裏方」の職人でした。
京都には各宗派の本山がありますから和蝋燭の需要が多かったそうですね。また、寺院以外でも和蝋燭が活躍する機会は多いですよね。
仏前へのお供えのほか、神社の灯明にも使われますね。また、寺社や祭事、料理屋さんなどの提灯には必需品です。京都は今も提灯が多い街ですから、日用品としての需要も高いんですよ。
田川さんは、ご結婚を機に和蝋燭職人の道を歩み出されたそうですね。
先代である妻の父が病に倒れたことをきっかけに少しずつ手伝うようになり、そのまま跡を継ぐことになりました。
職人さんの多くは「子供の頃から親の仕事を見て育った」とおっしゃいますが、私は和蝋燭のことを知らずに育ちましたから、義父や先輩職人に指導されるまま技術を身に付けてきました。とにかく目の前の和蝋燭を懸命につくり続けていたら、あっと言う間に30年が経っていました。
材料の枯渇に向き合う
洋蝋燭との違いはどのような点でしょうか?
洋蝋燭は重油を原料とするパラフィン蝋が主材料です。洋蝋燭と比較すると、和蝋燭は炎がしっかり太くて消えにくいという特徴があります。また油煙が少ないため仏具などに煤が付着しづらい。櫨蝋は炎とともに蒸発するので、蝋が垂れることもほとんどありません。洋蝋燭よりも大きく、ゆっくりと揺れる炎に癒やされるとおっしゃっていただくことが多いですね。
御社ではどのような材料を使っておられるのですか?
櫨の木から採った蝋を使っています。い草の髄を和紙に巻き付けた灯芯と櫨蝋の組み合わせは、京都の伝統的な和蝋燭には欠かすことできない材料です。
ただ、これら伝統的な材料が枯渇の危機を迎えています。とくに櫨蝋は、全国で生産者の廃業が相次ぎ、安定供給が困難な状況です。
現在、私たちは京都市北部に櫨蝋の産地を興す活動を続けています。50年後、100年後も和蝋燭が残り続けるために、手仕事の技術と一緒に上質な材料も継承する必要があると感じています。
職人紹介
田川 広一/Hirokazu Tagawa
プロフィール
中村ローソクの4代目。1988年から長きにわたってローソクづくりに携わる。2015年には、高品質な原材料(櫨蝋)の調達が困難で,危機的な状況にある「和ろうそく」を存続させるために京都市と合同プロジェクトを立ち上げ。 京北地域において櫨を栽培・加工し て櫨蝋を製造し,和蝋燭などの原材料として安定供給する「地産地消」を目指している。
京都伝統工芸連絡懇話会会員。